前回、母とわたしの昭和の思い出で、アイスクリームを買ってもらえない話を書きました。
昭和40年代、当時としては母は異色の子育スタイルだったので、わたしは小学クラスで悪目立ちして、いつも目立たないように、小さくなっていました。
悪いことに、先生にも理解してもらえず冷たくされて、それもわたしがいじめられる原因の一つだったような気もします。
その当時、インフルエンザのはやる時期になると、「問診票」なるものが配られるのでした。
そこには、咳がでるか、熱があるかとか、10項目以上はあって、該当する項目にマル印をつけるものでした。
問診票に丸印があると、「医者に行きましょう」と勧告される
その問診票に丸印が、何個で言われるか忘れましたが、とにかく少しでも風邪のような兆候が見られるならば、すぐにお医者さんに行きましょうでした。
それが、クラスのみんなに風邪をうつさないあるべき姿だという方針です。
風邪はお医者さんに行って治してもらう!が前提。
そうすると、軽く咳がでるとか、ちょっと喉が痛い程度でも、お医者さんに行かないのは、まさにクラスの非国民です。
(注:わたしは、戦後の生まれです…。)
診断書の提出が必要だったかは覚えていませんが、「お医者さんに行った?」と、頻繁に聞かれ、その注意勧告は母までいきました。
この学校方針に、異を唱えるわたしの親…
母は、この方針に腹を立てていました。
そもそも風邪くらいは、安静にして、水分とビタミンCを多目に摂って(栄養のある食事はもちろん)、自分の本来力、免疫力をあげて治すという考え方だったからです。
何より、当時のお医者さんの単なる栄養剤の注射とか、ちょっとしたことでも抗生剤をだすやり方に、危機感を持っていました。
簡単に薬を、特に簡単に抗生剤を飲ませることを、よしとしなかったのでした。
また、微熱程度の子供を、重症な風邪ひきもしくはインフルエンザの子供が多い小児科の待合室に、長時間いるだけで(子供が)うつされてしまうのではないかと心配していました。
なので、とにかく風邪を引いて熱を出しても、ひたすら安静、水分をたくさんとらされました。
ということで、小心者のわたしには、何かにつけ気苦労の絶えない小学校時代でした。
後年、母から影響を受けたとこは
のちになって感じるのは、この母の影響で、多数をしめる意見や考え方を鵜呑みにしないで、まずは自分で考える、その時代の大勢(たいせい)を占める考え方が、必ずしも正しいわけではないのでは…、少し固い表現ですが、こんな感覚を持つようになりました。
当時、英国のバートランド・ラッセルやウィリアム・グラッドストンなんかが好きだった母は、子供心に変わり者で、言うことがいちいち世間離れしていて、内向的なわたしは泣かされましたが。
還暦も近くなると、それも懐かしい思い出です。
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